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2010年12月16日 (木)

すずしろのや

断っても良かったんですよと言われても、もう断れないのだなと諦める以外に出来る事がない。
できますか、という問いかけは多くの場合、面倒事の依頼なのだけれど、可能かどうかで返事をしてしまう。お願いされると、断るだけの甲斐性がない。
不可能な事なら、出来ませんと答える。したいですか、と尋ねてくれれば、したくありません、と正直に答える。けれども、大概の人は、できますか、と尋ねてくるので、できますと答える。
ここでの不幸は、おしゃれに言うと、コンテンツの齟齬とも言える。

忙しいと感じていても心の中では、定型詩の韻律について思いを巡らしていたので、人の指摘するとおり、本当はあまり忙しくなかったのかも知れない。あるいは、人によってはその状態を仕事をしているとは言わないかも知れない。

「伊良子清白:月光抄/日光抄」平出隆 新潮社
伊良子清白は、明治の詩人で、シグルイとは関係ない。わずか一冊「孔雀船」という詩集を残し、その後三十年以上詩壇から身を引いた。
詩人である平出隆は、伊良子清白の生涯を、端正とも、ゆっくりとも形容したい文章で、評伝のように小説のように綴っていく。処女詩集を発表後、まるで詩を捨てるにように、医師として地方から台湾にまで及んだ清白の流転を、日記を中心に辿る。突発的で波乱にみちた清白の軌跡に対して、平出隆の文章はどこまでも慎重である。清白はなぜ、詩を捨てたのか、詩人である事をやめたのか。あるいは、なぜその様にみえる人生を送ったのか。その謎を解き明かそうとする流れの底で、平出隆は詩とは、詩人とはなにかを探っている様に感じられる。
決して捉えられないものを捉えようとするこの文章は、詩人だから書けるのかもしれない。

追記
ツインテールの女子大生がいて、ビックリした。
そして、それ町の8巻を買う事が出来ない、自分の不甲斐なさ。

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